2009年3月14日土曜日

「私のタイムカプセルを覗くあなたへ」


開かずの間に堕ちて出口を探す勇者への伝言



「私のタイムカプセルを覗くあなたへ」


  私の詩は一見してどの分類に属するのかまったく判別不能な文体です。( 感じる人はそれぞれですがまれに「意味不明だし・・・!」とか思われる方もあろうかとは存知ます。しかし我慢して読み返してみてください。読み返すたびに真意が伝わること請け合いです。言葉は魔法の呪文です。どんな言葉でも数を唱えるうちにその呪文の意味が沸々と心に浮かび上がってくるものです。理解とかの理屈ではなくすべからず体現です。体で感じて体で味わうこれが一番です。 )
俳句ではなく短歌でもなくまして万葉集の様体の和歌とも呼べず、また琉球の伝統的な"おもろそうし"の形態とも違います。おそらく世界の形式を成型しているどんな詩歌にも当てはまることはありません。しかし言語は私が知りえる限りのさまざまな民族の言葉を用いて表現しています。得てして異端であり人によってはまさしく意味不明なのかもしれません。おおよそ民俗学的にも人類史学的にも価値さえないことなのでしょうが。そしてことさらに文学的価値は皆無でしょう。それが私の目指す文体と言っても過言ではないほどです。それは私がそれらの作風や規則をを否定しているからではなく私の能力が私の情熱や感情をその範疇で表現することができないからです。いわゆる詩人としての創作力や才能が欠如している所以であり証左でもあることを自ら認めています。しかし、語彙を用いた文は心の表現に有効です。だから未熟であると認識していても他に追随したり隷属することが苦手な私は苦手なままで自己の表現方法で詩を謡い文章を綴ります。時には起承転結もなく主語さえも省いて描きます。「えぇ~い!メンドイッ!」と思って端折って描くこともままあります。言い得て"奔放"的です。しかしながら幼少に万葉集の百人一首を総て諳んじ作者の人間的背景までも父に学んだ事実から遡ればやや平安朝あたりの匂いが漂う語彙が使われたり、父から口伝えで学んだ漢詩や論語などの文脈や語彙などもちらりほらりと浮いています。勿論、学校時代に図書館へ通いつめて培った素地も見逃すことなく織り込む努力をしてはいます。
ただ自分の作風を体系的にまとめて確立するだけの知識もなく才能もありません( 何故なら真剣に学習した覚えもないからです。 )から自然と徒然的ではあると思います。兎に角、形式的に謡うことで感情を剥き出しに表現することなど今現在も私には困難ですし将来も進歩しないと確信します。なぜなら私は子供時代から文意に形式を押し付ける学校教育になじめなかった落ちこぼれ組みでもあるからです。これはそのご数十年(半世紀にならんとしていますが。)変わることがなかった現実的根拠でしょう。。もちろん、緒家芬芬あることでしょうが兎に角わたし個人としてはその力量を持っていません。でも詩を書いたり文章を綴っていると自分でさえ知りえなかった自己表現や万物への愛着がそこに存在して作品となって私に語りかけてくるものです。これを安易に文体を気にして作為を施すとその作品の生命線を操作する医者のようであり私にはたとえそれでその作品が一般的な評価を得られる輝きを持ちえたとしてもそれはつとに私の真実の心を吐露したもではなくなります。創為的な力量不足や幼稚な思想的背景などを弁解がましく述べているように思われるかも知れませんが私は一向にそれらの批判を拒絶したり嫌悪感を抱いたりすることはないでしょう。真逆、どんな批判批評であれ私の駄作に意見を呈していただけるのであればそれは天にも昇りたいほど嬉しいことです。その批判、批評、激励または罵詈雑言からでも私は自分の作品を客観間的な視点で眺める機会であるとありがたく思います。作為が明瞭にあってかつ作風を既存の形式に組み込めないはみ出した世界の男の心を溢れる感情のままに綴り書いて後世へ私の存在を記したい。そんな私の心底の情熱を汲み取ってみてください。
ありがとうございます。


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